おはようございます。SHIROBAKO Advent Calendar 2022の17日目の記事です。
僕は、『SHIROBAKO』という作品の中に好きなシーンがいくつもあります。そのうちのひとつが、TVシリーズ第2話「あるぴんはいます!」のBパートに描かれるシーンです。このシーンでは、主人公らが制作しているアニメ『えくそだすっ!』に登場するキャラクターについて、制作陣の認識を合わせる会議の様子が描かれています。
この記事では、僕がこのシーンを気に入っている理由について、少し考えてみようと思います。
普段の日常生活の中で、「想像」と「創造」、これらの言葉の意味について考えることは、あまりないかもしれません。
『SHIROBAKO』は、アニメーションを作り上げていく物語です。今回は、この物語の要素の中でも特に”作ること”について考えてみたいです。そこで、思考の出発点として「想像」と「創造」に焦点を当ててみようと思います。
まず、それぞれの言葉の意味を整理します。
とりあえずWikipediaからの引用です。
想像力(そうぞうりょく、英語: imagination、フランス語: imagination)は心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して認められないときに作り出す能力である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%B3%E5%83%8F%E5%8A%9B
創造(そうぞう)とは、新しいものを産み出すこと。創作や発明、あるいは新しい考え方など、オリジナリティの強いものに対し使うことが多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E9%80%A0
「想像」とは、知覚できないイメージを作り出すこと。だと、僕は理解しています。
例えば、僕が小さい頃に見た、不思議な夢(?)の話です。(?)と書いたのは、本当に夢だったのか、今でも分からないからです。この夢の中で、僕はいつも、程々な大きさの交差点にいて、この交差点の中心にある鳥居を見て恐怖してしまうのです。この鳥居を見ているとき、周りにだれも人がいないように感じる。鳥居を気にしなければ、何の変哲もない日常。あるとき僕は横断歩道から外れて、鳥居に近づいてみようとしました。...というのは今考えたでっち上げストーリーです。
こういった物語のように、文字などの知覚できるものとして変換されるまで、それが本当に存在しているの分からないものを作り出すことが想像だと思います。
そして、例えば、脳内で山ハリネズミが雪山を駆ける情景を思い浮かべたり、30年後の現代アートと呼ばれる概念を生み出したりできることが、「想像力」だと思います。
「創造」とは、オリジナリティのある"もの"を作り出すこと。だと、僕は理解しています。
例えば、先程僕が想像した物語は、僕の手によって文字に起こされたり、↓のように絵になったりします。

こういった文字や画像のように、実際に知覚できるものを作り出すことが創造だと思います。
そして、例えば、土をこねて焼いて土器を作ったり、仲間をまとめ上げて木を削り計算し組み立てて鳥居を建造したりできることが、「創造力」だと思います。
ようやくですが、冒頭に挙げた僕の好きなシーンのひとつ、あるぴんたちがどんなキャラクターなのか、制作陣の共通認識をつくる会議の話に戻ってきましょう。
会議の中では、これまでに作り上げられたあるぴんたちのプロフィールを確認しています。そして、ここから、彼女らのキャラクターをさらに作り込んでいきます。まるで、本当に存在しているあるぴんを、あるぴんのことをまだ十分に知らない制作陣が深掘りしているようです。そうすると、気になることがあります。
あるぴんはどこから来たのでしょうか?
最初はもちろん、監督の想像力によって生まれたのだと思います。最初は「想像」されたのです。この時点では監督の頭の中にイメージとして存在しているだけで、他の人をはじめ、本人すらも、あるぴんが本当に存在しているのかどうか、はっきりしていないでしょう。 そうして、『えくそだすっ!』という企画が発足する頃には、あるぴんを取り巻く物語や、キャラクターデザイン(あるいは、その元になるような設定)が、監督本人や企画に関わる人たちの手によって、「創造」されていたと思います。この創造には、様々な人たちが関わっており、『えくそだすっ!』はまさに、彼らが持っている創造力の結晶と言えるでしょう。
あるぴんが創造されるまでに、どんな創造力があったのか考えてみました。
- 制作工程
- 信頼関係
- 画力
- 演技力
- 表現力
- 集中力
- 交渉力
- コミュニケーション能力
- 計算能力
などなど、挙げればたくさん出てきそうです。これらの創造力がひとつでも欠けると、あるぴんは創造されなかったかもしれないし、別のあるぴんが創造されていたかもしれません。
企画から始まり、様々な工程を経てダビングされたであろう映像の中にあるぴんたちはいます。そして、一度創造されたあるぴんたちを、キャラ認識共有会議で、改めて創造し直そうとしているわけです。
ここで、自分の想像したキャラクターについて発言できることも創造力ですよね。例えば、みゃーもりの、"あるぴんはドーナツ派だと嬉しい"という発言が無かったら、あるぴんが創造されるまでに必要だったピースが欠ける気がします。
参加した人たちや、たこ焼きのお陰で、想像上のあるぴんが出来上がっている。そして、あるぴん役の茅野夢衣さんの演技を見た井口さんが作画力で創造し、小笠原さんの作監力、色彩、撮影、、、人々の手によって創造が連鎖しているように見えます。
もちろん、キャラ認識共有会議以前にも、監督の想像が絵コンテとして創造されて、声優の想像が声の芝居として創造されて、、、ということがあったはずです。
あるぴんは想像され、創造される繰り返しの中にいるのでしょう。
繰り返しの始まりが気になります。監督はなぜ、あるぴんを「想像」できたのでしょうか?
完全に妄想ですが、監督があるぴんを想像できた理由は、アニメがあったからだと思います。
先人の創造物から刺激を受けて、好きになって、たくさんの作品を見て、そういう経験が想像のきっかけになっていったんじゃないかと。
最初にアニメを創造した存在、その前にきっかけをになるものを創造した存在、そういう存在があったからこそ、我々は未知のものを想像できるし、作れると分かっているから創造力を磨き、想像したものを現実に生み出す。
僕は、ものを作るのが好きで、作りたいものがたくさんあります。僕のような人間も想像と創造の繰り返しの中にいるのかもしれません。
世界の想像力は、創造力によって膨らみ、創造力は、想像力によって発展するのです。
この現象を表現する言葉として"加速"を使うのは、うまいなぁと思います。
まとめると、僕がTVシリーズ第2話のこのシーンが好きな理由は、人が集まって想像を共有し、協力して創造する。こういう営みが、この瞬間だけでなく、連鎖的に続いているのだと感じられるからだと思いました。
「あるぴんは、もう、ここにいるんだよっ!!!」
おしまい。
明日のSHIROBAKO Advent Calendar 2022はxxxです!